茨本県の蛇ヶ崎市、常阪線の田貫駅から徒歩5分のところに、『キッチンさわむら』という喫茶店/洋食屋が '00年代の半ばあたりまであった。私は地元の者というわけではなかったが、その頃の仕事の関係で田貫駅を使うことがよくあり、仕事の前や後にちゃちゃっと食事を済ますのにその『キッチンさわむら』を度々利用していた。外から見た感じどうってこともなく、内装もまたどうってこともない、昭和50年代や60年代には日本中にザラにあったであろう普通の「喫茶店」、サンドウィッチやスパゲティやカレーあたりの軽食をも出す、というよりそちらでこそ売り上げをあげまた客を呼ぶタイプの喫茶店/洋食屋、ってとこだ。実際、この『キッチンさわむら』では、温冷ともにのコーヒー、紅茶、夏期だけのフラッペなど以上に、そうした軽食メニューが人気のようだった。その中でも私がとびっきり気に入っていたのはカレー — プレーンなそれと「卵カレー」「ソーセージ・カレー」の3メニューのみで勝負するカレーと、「ハムエッグ・サンド」だった。正直、寄る度にカレーを食したいのはやまやまだったが、夕方以降に寄る際にはカレーが切れてることがしばしばで、そういう時のセカンド・チョイスとしてハムエッグ・サンドで我慢する、といった感じだった。いや、正確に言えばそれは違う。空腹度が大きい時なら、私はカレーとハムエッグ・サンドの両方を頼んでいたのだから。両方とも味が抜群で、リーズナブルな値段からすれば十分に「ご馳走」と言えるものだったのだ。
そのカレーとハムエッグ・サンド、何がそんなに特別かというと、まず、ほんの600円台や400円台のメニューとは思えないほどに店主のこだわりと腕と料理センスがまざまざと感じられる点だ。カレーは十分にスパイシーに辛く、それでいて甘みと酸っぱみが —
いきなり何事かと感じられたことだろうが、上記のレヴューは、私が今でっちあげた「定食屋めぐりエッセイ・ブログ」の架空の1エントリの冒頭の一部である。
茨本県なんて県も蛇ヶ崎市なんて市も常阪線の田貫駅なんて駅も実在しない。
にもかかわらず、読んだあなたはその先を最後まで読んでみたいと思わなかっただろうか。
そこにこそ「エッセイ」の局面の大事さが表れている。
前回エントリで挙げた「いち候補」として私の念頭にあるブログというのは、最低限でもこうした本文を持つブログである — そしてむしろ、こうした「本文」部以外には何も要らないと言っていい。
そこにはグーグル・マップが貼り付けてある必要もないし、店の正確な所番地の記述も必要ない。
そのブログは「情報サイト」「グルメ情報サイト」なんかではないのだから。
マヌケでヘタクソで情報弱者で、金欲しさ一心で涎を垂らしてる割りには社会も人間も知らないために小金を稼ぐことすらできない — そうした人間ほどシロウトで権利ホルダーでもないくせに「プロ」ぶった「情報サイト」を他者の著作権等を侵害してまで作りたがるものだ。
上記の架空エントリ、「エッセイ・ブログ」ならではの架空エントリを、もう1度そうした視点とともに意識的に読み返してみるといい。
そこにある「情報」は、茨本県蛇ヶ崎市 常阪線の田貫駅近くの『キッチンさわむら』という喫茶店の客観的情報ではないことが改めて感じられるはずだ。
そしてこの筆者(私だがw)が提供しているのは、定食屋/軽食屋/喫茶店というものに対する個人的見解・知見であり、カレーやサンドウィッチといった軽食メニューに対するそれであり、そして何より、想い出・思い入れ・情趣・情緒という、縁もゆかりもないアカの他人の心にもどこかで訴え得る主観的情報、または情報価値である。
それは何より「読んで楽しい」「共感できる」「読むといろいろなことを思い出してじんわりと感慨深い」というようなシンパシー上の満足/情報価値を読む側に提供するのであり、「プロによるプロ業としてのサイト」が提供する、事実と取材に基づく客観的情報の価値を、どんなアマチュアでも暇つぶしの楽しみがてら「空手」「手ぶら」で凌駕することのできるリーズナブルでクレヴァーな手だ。
そしてもちろんグーグルや検索ユーザは、他の5や20や400のサイトに既に多かれ少なかれ書かれている内容のコピーのコピーの劣化コピーのような「誰でも作れるどうでもいいコンテンツ」より「その人しか書けず、そして実際他には書かれていないオリジナルなコンテンツ」に軍配を上げるものである。
もし実際に茨本県蛇ヶ崎市や常阪線の田貫駅や『キッチンさわむら』という店が存在していたら、上記のエントリの完全版は周辺の共起語による検索結果ページで何年間も3位以上に君臨し続けることだろう。
「コンテンツ」カテゴリの過去エントリ、またその周縁の過去エントリで常々述べてきているように、コンテンツについて言えることはいつでもひとつだけしかない — あなたにしか書けない、あなただけが書ける内容を書け、そしてその際には持てる限りの力を注いで1エントリを仕上げろ、ということだ。
それさえできていれば、「後」はグーグル検索システムと無数の見ず知らずのウェブ・ユーザに任せておけばいい。
過去に 読む価値のある記事は必然的に他の面でも最適化されている で詳しく述べているように、ブロガーは「本文」だけに注力すれば事足り、そしてそれ以外のことにばかり注力したとしても、肝心要の本文に注力せず終いだったらどうしようもないのだ。


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